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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)20号 判決

控訴人

矢野眞弘

右訴訟代理人

山岡義明

市原敏夫

被控訴人

樋口正道

外一名

右訴訟代理人

佐々木鉄也

大友秀夫

主文

原判決中被控訴人樋口正道に関する部分を左のとおり変更する。

被控訴人樋口正道は控訴人に対し金七四万五、八九六円及びこれに対する昭和五〇年三月二七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人の被控訴人樋口正道に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人と被控訴人樋口正道との間に生じた部分はこれを五分しその四を控訴人の、その余を被控訴人樋口正道の負担とする。

この判決は控訴人勝訴の部分にかぎり仮りに執行することができる。〈以下、省略〉

事実《省略》

理由

〈証拠〉によれば、控訴人は、昭和四七年三月一一日午前九時三〇分頃、横浜市西区北幸町一丁目五番一七号地先の丁字型交差点を横断中、被控訴人樋口運転の自家用自動車〓ベンツ、品川三三さ一三五〇)に接触され、その結果、右手、右臂部に加療五日間を要する挫傷を受けたことが認められ(右事実のうち、被控訴人樋口運転の普通乗用自動車が控訴人に接触したこと自体は、被控訴人らの認めて争わないところである)、また、右事故が被控訴人樋口において前方注視義務を怠つたことによつて生じたものであることは、当事者間に争いがない。〈中略〉

次に、被控訴人樋口に対する請求について判断するのに、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

すなわち、

(一)  控訴人は、前記傷害のため、昭和四七年一〇月二六日までの二三〇日間横浜市の警友病院に通院(内実治療日数九七日)し、その後、都内の虎の門病院へ転院し、同月二八日から昭和五〇年一月一〇日までの二年二ケ月余の間同病院に通院(内実治療日数二八日)して治療を受けたが、同病院で「腰部挫傷後遺症(右下肢に局所神経症状があり、労災等級の一四級に該当する。)があるものの、上、下肢の機能障害及び運動障害はなく、右症状は固定し全治した。」との診断を受け、これにもとづき、控訴人は、一旦、自賠責保険の後遺障害等級一四級相当の保険金を受領した。しかし、その後も、右腰部痛及び右下肢のしびれ感を訴えて横浜市の大船共済病院等に数十回通院したり、マツサージ治療を受けたり、売薬を服用したりしたが、前記の症状は、好転しなかつたこと、

(二)  控訴人は、通産省工業技術院繊維高分子材料研究所に技官として勤務している者であるが、本件事故前はかなり力を要するプラスチツク成型加工業務に従事していたが、本件事故後は前記のごとき腰部痛及び下肢のしびれ感があつて従前の仕事はやりづらいため、坐つたままでできる測定解析業務に従事するようになつたこと

が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、右認定の事実に基づき控訴人の蒙つた損害の額について判断するのに、〈中略〉

(三)  労働能力喪失による損害

三四万一、二一六円

交通事故による傷害のため労働能力の減少を来たした場合であつても、そのことによつて収入の減少が生じていないときは、被害者は、労働能力の減少を理由とする損害賠償請求権を有しないとするのが、判例の伝統的、かつ、支配的な見解である。しかし、かく解さざるを得ない論理的必然性があるわけではなく、また、その結果も、必らずしも、合理的であるとはいえない、と思われる。そこで、当裁判所としては、かかる見解に従うことなく、むしろ、事故による生命・身体の侵害(本件に則していえば、労働能力の喪失)そのものを損害と観念し、伝統的な見解でいう損害、すなわち、事故によつて余儀なくされた支出とか得べかりし利益の喪失等は、損害を金銭に評価するための一資料にすぎないものであるから、事故等によつて被害者が労働能力の全部又は一部を喪失した事実が認められる以上、たとえそのことによつて収入に格別の減少がみられないとしても、なお、被害者の受傷前後の収入のほか、職業の種類、後遺症の部位、程度等を総合的に勘案して、その損害の額を評価、算定するのが相当であると判断する。

いま、本件についてこれをみるのに、控訴人の本件事故前の年間給与は、二九四万八、四九〇円であつたところ(この点は、右被控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす)、控訴人は、本件事故後も給与の面については格別不利益な取扱いを受けていないが(この点は、控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす)、前記認定に係る本件事故の態様、程度、控訴人の後遺症状の部位、程度、控訴人の通産省技官としての職種、本件事故前後の業務の内容のほか、控訴人の前記症状は多分に心因性のものであると考えられること(この点は、当審証人田中重男の証言により認められる。)及び労働省労働基準局長通牒(昭和三二年七月二日付基発五五一号)による労働能力喪失率表等を併わせて勘案すれば、控訴人は、前記の後遺症により本件事故前に有していた労働能力の二パーセントを喪失したもので、その喪失期間は、本件事故後七年間であると認めるのが相当である。そして、右労働能力の喪失による損害の額を、本件事故前における控訴人の収入を基礎として算出すると、左式のとおり、三四万一、二一六円(円未満切捨)となる。

〈中略〉

したがつて、控訴人の被控訴人樋口に対する本訴請求は、前記損害金の残額と弁護士費用との合計金七四万五、八九六円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五〇年三月二七日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合いによる金員の支払を求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よつて、原判決中これと異なる被控訴人樋口に関する部分を以上認定の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(渡部吉隆 浅香恒久 中田昭孝)

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